2013年04月11日

胎内記憶とつながり感 その2

今回の記事を読むと、
このお医者さんがとったアンケートでは、
胎内記憶をしゃべったことがある子どもは約三割だった、
とありました。

でもこういうことが実際にあるので、
胎内の時期を大事にすごしましょう、とはありますが、

どうして記憶を持つ子と持たない子がいるのかには
言及されていませんでした。

こんなことを考えるのは私だけなのでしょうか^^;

おそらくはきっとみんな胎内の記憶があるのに
胎内と産後が別次元のように途切れていて
引き出されることがないのだと思います。


私自身の長女、次女の妊娠期間中と、
三女のときとの違いは、

はっきりと違うと思うことは、

三女が妊娠中に私は整体を知ったので、
とにかくお腹の子と話そう、声をかけよう、
気を集めようとしたこと、です。
(今思いなおすと、それはそれでやっぱり
 頭でこうしなくちゃとやっていた気もしますが)


対する長女と次女は、長女の時はまだ働いていて、
周囲の人から止められたのに、
お腹の子よりも仕事のことばかり考えていて無理をし、
切迫流産になりましたし、

次女の時は、長女のことや他の事ばかり考えていて、
お腹の子と気を通わす余裕がなかったように思います。


それから、三人はそれぞれ違うところで出産しましたが、

長女、、次女は、生まれてすぐに顔も見せられず、
赤ちゃんはすぐどこかに連れて行かれて
体重計測などが終わってから
「はい、お母さん、赤ちゃんですよ」
と対面できたのですが、

三女は生れてからすぐに、
へその緒がついたままお腹の上に乗せられ、
しばらくつながったままで抱っこし、
あ〜ホントにつながってたんだなぁと自分が実感したあとに、
へその緒が切られ、体重計測などが始まったのです。


どれも赤ちゃんが生まれたことは幸せな体験でしたが、
自分と赤ちゃんがひとつだったんだなぁと
胎内のことが一つの流れとして感じられたのは
三女の出産だけでした。

自分の経験から私は、
胎内記憶をもったまま育つ子とそうでない子の違いは、
母子のつながり感、胎内と外のつながり感にあると思うのですが、
どうでしょうか。

昔の人には、数え年といって、生まれた時ではなく、
胎児のころを0歳として、うまれた時を1歳として数える風習がありました。
七五三などの行事はいまだに数え年で行うことが多いです。

でも現代は、お腹の中にいるときは見えないので存在を忘れがちで
産婦人科でモニターをみてやっと
心臓が動いてますよ、へその緒がこうついてますよ、
手を動かしていますよ、と、赤ちゃんの存在を感じる状態です。

お腹を蹴ったら少しはいるんだなと感じるけれど、
それ以外のときはいるかどうかさえよくわからない。
死んでないよね?と不安になる始末です。

どちらかというと、
生れた後どういう名前にしようかな、とか
何を買わないといけないのかな、という情報に夢中だったり、

上の子のお世話ですっかり存在を忘れていたり、

つわりがつらくて早く生まれて欲しいと思っていたりとか、

とにかく赤ちゃんはほしいけど、
妊娠中は、辛い、面倒くさい、お産は痛い、と思いがちで、
胎児の時に母子がつながり感を感じることが
とても少ないように思います。


つづく